おらあとうの村の歴史は、
おらあとうの手で明らかに・・・
富士見町の宝の一つ、境地区にある井戸尻考古館。
井戸尻考古館の歴史は、昭和31年(1956年)春、 地元境地区の有志による境史学会の立ち上げに始まります。
昭和33年には、「井戸尻保存会」が結成され、境史学会メンバーを中心に境地区公民館と共に、 井戸尻遺跡の発掘が始まります。
昭和40年6月には、考古館の運営が教育委員会に移管になりましたが、それまでは「井戸尻保存会」が主体でやっていたわけです。
昭和49年に考古館が建設されますが、建設に当たっては地元広原財産区が県企業局が行っている八ヶ岳保健休養地開発による地元への還元施設の一部として建設、 町へ寄付しました。
井戸尻発掘50周年記念のサブタイトルは「おらあとうの村の歴史は、おらあとうの手で明らかに・・・。」でした。
井戸尻遺跡の歴史は、富士見町の多くの地元住民によって明らかにされ守られてきた歴史でもあります。
わたしと縄文
井戸尻応援団では富士見町の地元住民はもちろん、井戸尻に興味やゆかりのある方々が全国から活動に参加しています。
現代だからこそ、物理的な距離を超えて同じ目的のために活動できる新しいコミュニティーが井戸尻遺跡群から広がっています。
田丸 悟郎
富士見町
移住して1年目、蓮池のクリーンアップにお誘いいただいたことがきっかけです。
身体を動かすか〜くらいの軽い気持ちで参加したクリーンアップは、泥と睡蓮との格闘でした。
が、なんだかとっても気持ちが良く、2022年のハイライトになりました。
これはまた参加したい!少しでもこの素晴らしい場所に貢献したい、と思って応援団に入りました。
いつも素敵な時間を過ごさせていただいています。西 明子
富士見町
境小に赴任したときに、できたばかりの「縄文クラブ」の担当になったのが井戸尻考古館と出会いのきっかけです。
境小を離れても、井戸尻と関わる方法はないかな? と思い、応援団に入ることにしました。
久保川 順子
富士見町
自然に恵まれたこの地を永住の地と決めて、歴史や文化を知りたいとイベントに参加し、地域の人達との交流を始めました。
井戸尻遺跡への散歩は特に興味深く楽しみだったので、応援団に近づき、自然に入会していました。蓮の手入れと蓮茶作り、復元家屋の茅刈り、井戸尻遺跡の講座、土器作りと野焼き、縄文夜話では復元家屋の炉で火を焚き、キノコ汁の夕食、土偶展の見学(長野県立歴史館)、考古館と連携しながら多くの楽しいイベントがありました。
特に考古館...もっと読むエンジェル 千代子
富士見町
田舎で子育てをしたくって富士見に越してきたのは1993年です。
考古学に全く興味がなく、10年ほどしてから最初はご近所なので仕方なく義理とか義務感で考古館主催の「縄文文化講座」を聞きに行きました。
すると、とにかく面白いのです。土器の文様の説明を聞いているのですが、縄文人のなぞ解きをしているようで次はどんな展開になるのかドキドキしました。
話も面白かったのですが、話し方の熱意や愛を感じて余計惹きこまれたんだと思います。「...もっと読む
井戸尻遺跡は一日にして成らず
富士見の住人による発掘作業が始まってからほぼ70年。
土器や学術的資料とは異なり、残念ながらその活躍や秘話などの貴重な情報はあまり残っていません。
その歴史と誇りを後世に残すため映像や文章に残していく活動や、
古代蓮を守る環境整備なども行っています。
貴重なインタビューや映像、私たちの活動についてご紹介いたします。
井戸尻応援団
地元の人たちの手によって受け継がれてきた井戸尻考古館。
地元の有志を中心に井戸尻を盛り上げていきたい、と立ち上がったのが 「井戸尻応援団・呼びかけ人の会」です。
井戸尻史跡公園周辺の環境整備や気軽に楽しめるイベントの企画などを、考古館と連携しながらできたらいいね。そんないろんな情報をみなさんに呼びかけて、 多くの人に応援してもらおう! という趣旨で結成されました。
長野県富士見町の宝、井戸尻遺跡地域を そこに住む人、時々住む人、遠くに住む人のネットワークで共に学び、守り、次世代につながるよう応援します。
あなたも縄文
一緒に井戸尻を応援してくださる方を募集中です。
縄文中期の文化が栄えた八ヶ岳西南麓のことを知りたい、井戸尻の土着考古学とはどんなこと?などなど、縄文時代に興味がある方や、それ程でもないけど、この地域に関りがあるのでイベントに参加して、楽しんでみようという方も大歓迎です。
井戸尻地域を発信源にして元気の種をまいていきます。